店舗構築日記 3[勇者の章]

[勇者の章]


前回の引っ越しはこれまでの人生の中で最大の闘いでした。

大家さんの死去に伴い突然の退去を言い渡されてしかも定期借地物件だったのでなんの保証もありません。16年間暮らしてためにためた事物の量は半端なく約45坪の建物だけでは飽き足らず外に四個の運動会倉庫にもぎっしりモノが詰まっています。これはとてもじゃないけど1人でやるのは不可能です。ドラゴンがギッシリ詰まった魔法の洞窟に蒲鉾板を盾がわりにハダカで殴り込むようなものです。

ネットでSOSを出したら、「手伝いますよ!」と名乗り出てくれた勇者が現れました。結局、彼を中心として実に多くの善男善女の応援とお手伝いのおかげで大凡半年をかけてようやく引っ越せたのです。


「またあれをやるのか、、」と思うだけでなにもかもが憂鬱になります。脳味噌が闇に溶けていくような気分です。でも、今回は前回タイに行っていて居なかった三吉さんがいるので随分心強いものがあります。

しかし、前回でお金を使い果たしたのであまり予算もないから(その割には新居の修復に結構お金がかかりますが)こっちの方が大変かもしれない、、そうだ!また勇者に来てもらえないだろうか? と打診してみたら、勇者さんも仕事がまだ決まって居ないという事で手伝って貰える事になりました。本当にありがたいです。



3月21,22日

今回は勇者さんと作業からスタートです。三吉さんは友人の展示を観に地方に行っていて合流出来るのは3日後なので、それまでは2人で頑張るしかありません。

まずが前回の続きからで、まず一番雨漏りの酷い元寿司屋の屋根のトタンを張り直しつつ二階居住区の徹底な消毒と掃除。電気も引いて二階居住区を確保。無事泊まれるようになりました。そのまま一階倉庫部分の企業ゴミの片付けに入りますがこれが中々大変です。それでも2日かけて作業を続けました。


3月23日

午後近くに五井という駅で三吉さんと合流。そのまま資材を購入してそのまま作業に入り、まずは二階全域を仕上げて行きます。


3月24日

一階元スナックの上底になっている床と壁を撤去。ここで出てきた床の残材で一階倉庫の床が作れそうです。かつて解体職人だった頃培った技術と知識がこんなシーンで役立つとは思っていませんでした。まあこんなシーンに直面する事も普通はまずないよなあとは思いますが。その残材で取り敢えず奥の倉庫の床を二十畳分修復。あと一部屋は後にして、まずは引っ越し荷物の一部を運び込んで、その日の夜に撤収致しました。


一度、家に戻り猫の世話したりまたネットオークションに荷物を出したりして、3日後にまた新居に向かいます。


3月30,31日、4月1日

朝、現在の家で勇者さんと待ち合わせて詰めるだけ荷物を積んで途中五井の駅で三吉さんと合流。そのまま新居に入り作業を始めます。

まずはこれから倉庫になる部屋です。この前手付かずだった奥の部屋の企業ゴミ他を片付けて、それから半分以上落ちている床の修復作業に入ります。2日かけてなんとか床を直し腐った畳30枚を外にだし、一階倉庫部分とその近辺を掃除して、ようやく普通に呼吸ができる環境になりました。

さて、あと残すところは床が抜けてボロボロになっている元台所と現時点でゴミ置き場となっている元寿司屋のみです。最終日は資材を購入してきて倉庫に棚を作り、持ち込んできた引っ越し荷物を収納。これでようやく目安が見えてきました。ここまでで作業期間9日間。短いような長いような。最低ラインまで到達するのにまだ一週間はかかるでしょう。

現在開催中の横浜中華街ギャラリーソコソコでの骨董市の為に最初に持ち込んだ荷物を積み直して帰りました。



そして、そのまま現在に至るわけです。


私達、野外での骨董市を主体に活動している古道具屋にとって今ほど過酷な状況はありません。

仕事とは物販であって、ほぼ全ての会場が使用出来ない現状では販売そのものが出来ないのですから、「飢え死にしてね」と行政に言われている様なものなのです。

私達古道具屋に限らず、イベントやライブで収入を得ているミュージシャンやフリーランス、ライブ会場の主催者、バーや飲食店の人達は「やはり飢え死にしてね」と行政から言われている現状なのですが、これは中々理解して貰えないと思います。


救済の為と提示された国の施策は借金か実際にはかなり申請が難しい給付金であってそう簡単にもらえるようなものではありません。一応でも仕事があり、少なくなったとはいえ収入を確保できる環境にある人達にとって私達が今向き合わざるを得ない過酷な現実は中々理解してもらえないようです。

いつか、この暗い重苦しい空気が流れ去り、あの時は大変だったねえと話せる日々が来る事を切に願います。

古道具屋アウトローブラザーズ

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